丸山城

 後北条氏に属した土肥・高谷城主富永氏の出城とされ、西に対する沿岸防御の一翼を担っていたが天正18年(1590)に豊臣水軍の猛攻を受けて落城した。

その原形は海岸に孤立する丸山だけで完結した小規模な海賊城だったが、富永氏の勢力拡大とともに改修されたようである。延徳3年(1491)、富永氏は北条早雲の配下になって、以後後北条氏の水軍の中心的存在となって活躍している。天正年間に至ると、北条氏政は対岸の敵である甲斐武田軍に対してここの重要性を再認し、旧丸山城を大幅に改修し、本丸を新城に移した。整備強化された丸山城は伊豆の最大の水軍拠点となったが、天正18年(1590)の小田原の合戦の際に、豊臣水軍に攻められ落城、廃城となった。

城址は国道136号に分断された形になっている。古い方は「出城」、新しい方は「新城」とか「本城」と通称されている。海岸からの登山道もあるが、国道沿い「丸山スポーツ公園」のすぐ南に両城への登山道が走っている。どちらも5分少々で本丸へ到着できる。

  

  (【左写真】出城本丸 【右写真】出城木碑)

 

  (【左写真】出城にはいくつかの石積みが残っている 【右写真】出城虎口)

 

  (【左写真】本城本丸。一面耕作地に成り果てている。 【右写真】本城には石積みがよく残っている。耕作地を囲んでいる。)

 

  (【左写真】本城から海側には幾つかの段曲輪が確認できるが藪化。 【右写真】国道沿いの登山道。)

(丸い山が出城。その後方の山に本城が位置する。)

 

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