狩野城

 狩野城は1180年に狩野茂光によって築城され、以来伊豆の豪族・狩野氏の本拠として、北条早雲に攻め落とされるまで、300年に亘って利用された。

1491年に堀越御所の茶々丸を滅ぼした北条早雲はわずか1ヶ月間で伊豆半島を制圧したといわれる。当然この城も攻撃されたが、防御が堅く5年間も抵抗し続けたといわれる。奮戦虚しく落城後その時の城主・狩野道一は城から落ち、修善寺中町で力尽き自刃したという。間もなく廃城になって歴史の舞台から消えた。

本郭、中郭、東郭、西郭、南郭、出丸などが配され、西郭には大堀切があって、そこと中郭は二重堀切で防御されている。この事から現在の遺構は時代的に新しいものと古いものが混在する重層的な形態になっているようだ。また土塁もよく残っており本郭の南側には大きな土塁の上には物見曲輪も見られる(南郭の説もあり)。

周辺は切り立った地形で、相当に堅固な城であったと実感できる。国道136号の「柿本橋」を山沿いに走って行き、「下柿本バス停」脇に案内看板があって、そこを左に入って行くとさらに左側に登山道がある。そこから10分ほどで本郭。

  

  (【左写真】バス停脇の案内図 【右写真】本郭の石碑)

 

  (【左写真】本郭。奥に土塁があって、その上は物見櫓だったか。 【右写真】東郭と土塁)

 

  (【左写真】東郭から本郭を見上げる。堀切があり複雑な地形。 【右写真】本郭から中郭への土橋と堀切)

 

  (【左写真】本郭から西郭間の二重堀でハッキリと残存 【右写真】西郭から城外への大堀切)

 

  (【左写真】西郭から降りると山中に塚がある。狩野氏のものか。 【右写真】柿本橋から見る城址遠望)

 

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