寺尾城

尼飾城とともに武田信玄はこの城を北国街道の候可峠を監視する為に取り立てていた。

天文19年、武田氏に心を寄せていた城主の寺尾重頼を村上氏がこの城の攻撃をしたが、その際に尼飾城から真田幸隆が援軍に出たという。(『高白斎記』)

上杉景勝時代も健在であったが、上杉氏が会津に転封されると廃城になった。

空堀、土居址、寺尾氏の墓碑があるらしい。

 

 (全景でこの山頂が城址。この山の左突端に金井山城がある。)

 

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