岩原城

標高950m、比高250mの山城。安曇平を一望でき、背後は烏川谷が要害を作っている。

岩原城に関する史料はないようであるが、室町時代に築城され、天文年間(1532~1555)に仁科小岩嶽氏の一族が、堀金氏を称して改築し継続使用したといわれる。

山麓には安楽寺、大同寺址があり、ここからが大手口みられ、また根小屋とともに防護の郭として機能したようである。城山は尾根に出るまでは非常に急峻で、また城域に入り本郭に近づくにつれ再び険しくなる。

郭に実に28を数え、本郭と西郭は10mの大堀切で仕切ってある。規模は雄大で、歴史にその名が出てこないのが不思議だが、相当に権威の持った勢力によって築かれたと思われる。

 (『堀金村誌』より。上部の円形の郭が本郭。後部が深い堀で切られている。東側尾根伝いに無数の郭が繫がり、尾根の途中から安楽寺方面に降りる小郭が連なる。)

 

  (【左写真】山麓の安楽寺大門址で城址の一部。 【右写真】城域の入口で堀切と郭がある。)

 

  (【左写真】郭の土止めの石塁。遺構かは不明。 【右写真】堀切は多く見られ、規模も大きい。)

  

  (【左写真】郭は無数にあって、かなり広いものも確認できる。 【右写真】本郭裏・搦め手の大堀切で圧巻。)

  (【左写真】本郭、わずかに城址の木碑が建つのみ。)

(写真やや左の突起状のピークが主郭。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

    

登山道はいくつかあるようだが、いずれも山麓付近は明瞭でないようなので注意。今回は烏川沿いの「山神社」から沢沿いに登って行った(最左写真)が、途中で道は消滅。そこから山肌にしがみ付いて登って行くと中腹まで来てようやく登山道にぶつかる。そこからは道なりで途中にあばら家や雨乞い岩(左2番目写真)もあったりするが、城内に入るととてつもなく傾斜が急になる。特に本郭に近づくにつれ険峻。片道は40分以上はかかるであろう。

下山は先の登山道に従って行ったが、2合目付近で道は消滅する。「ウエスト記念館」近くに下りてきた(右2番目写真)が、最後は崖を転げ落ちるような状況で、結局登山道は無いのかも知れない。

ともかくカモシカの出る山をよじり登らねばならない。

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