等々力城

 穂高町の等々力集落の北にあり、穂高川とさぼり河が合流する三角地形を利用して築城された。

等々力氏が戦国時代に築城したものと思われ、等々力氏は徳川家康が豊臣秀頼を滅ぼした大阪の陣に出陣したようである。ここを中心として貝梅城やあら城を配していたようだが、いずれも遺構の保存状態は芳しくない。

江戸時代の等々力氏の居館は保存されており一般公開されているが、城自体はおおよその規模が分かる程度で原形を留めていない。

補訂(平成21年5月20日)

「現存している屋敷は等々力氏の江戸時代の屋敷で、居館跡は屋敷から南にある内堀地籍であったと言われており、等々力城は、屋敷から北へ100メートルくらいの所に標柱と土塁が残っている」との情報を頂きました。

謝して訂正させて頂きます。

 

(等々力本家。江戸中期の建築物と庭園が残る。)

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