早落城

洞城、洞山城などとも。標高778m、比高59m。

中世赤沢氏の持ち城で、稲倉城の支城であった。

現地の説明看板によれば、小笠原氏が落城させ、家臣である井深城主・後庁氏に与えた。天文十九年(1550)に武田信玄が小笠原長時を攻めて林城を攻略すると、赤沢氏は呼応していち早くここを攻め落としたので「早落城」と呼ばれるようになったという。赤沢氏は家臣である林氏にここを守らせたが、天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると廃城になった。

比較的規模は大きく、郭、堀切などがよく残っている。松本の浅間温泉からやや北上した「洞」集落の城山頂上尾根一帯にある。女鳥羽川沿いの住吉神社に登山道があり山麓から20分弱で本郭。

 

 (【左写真】城址遠望 【右写真】登山道入口)

 

 (【左写真】搦め手口より本郭を望む 【右写真】そこにある堀切)

 

 (【左写真】左側の藪が本郭。それを巻く帯郭がある。 【右写真】堀切はいくつもある。ちなみに現地の説明板はあまり正鵠を射てないかも知れない。)

(城址より松本城方向を望む)

 

 

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