北条城

 西牧城とも。標高950m、比高210mの山城。南安曇郡南部地方の豪族・西牧氏の本城で通称・城山の頂上にある。

西牧氏は戦国時代には武田信玄に属して1547年の塩尻峠の合戦では仁科・山家氏らとともに小笠原氏から離脱し、小笠原氏を敗北に追いやった。しかし武田氏滅亡後は小笠原貞慶によって逆に滅ぼされた。

城は大きく分けて3郭から成り、それぞれが堀切で隔離されて、特に主郭は10m以上の深い渓谷をなしている。北東方向の尾根にはいくつかの小郭があり、明治33年に地元の人々が建てた雷神の石碑がある。本郭から三方に出ている尾根を巧みに利用した構造であるが戦国末期のまとまった造りではなく、天文末年の中塔城の小笠原氏と対陣した際に大きく改修されたものといわれる。

  

 (【左写真】城址遠望。やや右のトップが本郭。 【右写真】登山道の石垣だが遺構かは疑問)

 

 (【左写真】本郭土塁。そこそこに広く土塁で囲まれているがイビツな形を成している 【右写真】本郭)

 

 (【左写真】本郭東側の堀切。規模は一級のものだ。 【右写真】小郭から本郭を見上げる。ここは堀切の底から実に15mはあるだろう。)

 

(【左写真】小郭、雷神の石碑。 【右写真】東側に下れば出城のような郭があり、その虎口と土塁。)

 (『梓川村誌』より。五角形が本郭で、その左側が副郭。上部は小郭で、いずれも堅固な堀切があり。)

 

城山は梓川村の金松寺の北側にある。登山道はいくつかあるのかも知れない。しかし亀山砦を経由する西側が一番楽であろう。重文という若宮八幡宮を目安に山麓伝いに走る車道を走ると左写真の登山道がある。ほどなく急傾斜の空堀のような山道が延々続く。夏場でも辛うじて踏み址が山頂まで確認できた。

城址へは東側の道もあるが非常に急斜面で、しかも道が明瞭でなく長い。こちらはお奨めできない。(右写真)

 

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