波田山城

秋葉城とも。標高977m、比高237m。

この波田町一帯は寛正三年(1462)頃に、信濃守護小笠原氏の一門である櫛木一俊が地頭となって治め、飛騨・木曾への境を守るとともに梓川対岸に西牧氏と抵抗を繰り広げた。内城である櫛木城の詰めの城として築かれ、子息・紀伊守政盛まで二代に亘って在城したという。戦国時代には、小笠原長時の旗下・波田数馬が城主であったが、武田信玄に破れ、深志城代・日向大和守により天文二一年(1552)に櫛木城とともに破却された(『波田町史』)。

本郭には土塁が四方を囲み、井戸の址といわれる窪みも残っている。南郭・北郭の3郭から成り、多く帯郭も確認でき、堀切の良く残っている。また本郭には小規模ながら馬出しと思われる削平地がある。

近くには「信濃日光」と評された若澤寺址が残っているが、この寺の石垣は波田山城から移したものだという。これらの遺構からは戦国末期に亘っても利用され改修を受けたようにも思える。

城山は「歴史の遊歩道」として整備され、搦め手からの登山になるが非常に訪問しやすい。

(現地縄張図。規模は大きくすべて回るには半日くらいかかるかも知れない。)

 

 (【左写真】城域の入口。山麓からは徒歩30分ほど。 【右写真】淡路城からの遠望で頂上に城址。)

 

 (【左写真】本郭で一部土塁が残存 【右写真】本郭はなかなか広い)

 

 (【左写真】本郭の井戸で数年前に枯渇したという 【右写真】本郭の土塁)

 (本郭北側にわずかに残る馬出し址。この地方には珍しい。)

 

(【左写真】堀切もいくつか見られる 【右写真】帯郭より本郭を望む)

(城址からさらに山奥20分ほどにある若澤寺址。苔むした石垣がよく残り、非常に情緒があって推奨できる史跡。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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