高島城

 諏訪氏が1539年頃に出城を築いていたともいわれるが、一般には1598年に豊臣秀吉の家臣・日根野高吉が7年を要し、彼独特の築城の技術を活かし諏訪湖の波打ち際に完成させた平城が始まり。

諏訪湖に面しており、浮城といわれたという。高吉は七公三民といわれたほど領民に過酷な労役を課し、その所領三万石には過ぎたる堅城を完成させた。

関ヶ原合戦の後は諏訪氏の居城となりそのまま転封もなく維新まで続いた。この間、城は中山道や甲州街道の道中記には必ず載せられる名勝でもあった。本丸内は藩主の御殿や書院、また一般政務の御用部屋、郡方、また賄方などがあり、能舞台、氷餅部屋等多くの建物で埋まっていたという。明治維新の改革で高島藩は消え、明治8年には天守閣も破却された。

 

(右写真は徳川忠輝が93歳で歿するまで蟄居させられた南丸址。)

(天守閣から諏訪湖を望む。戦国時代には城まで湖が続いていた。)

 

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