中津森館

都留郡を支配していた豪族・小山田氏のもともとの居館。その起源は明確ではないものの比較的信頼できる史料である『妙法寺記』に1527年「中津森ノ殿様」、1530年「中津森ノ御所炎上」の記載があり、戦国時代以前からの拠点であったと考えられる。

小山田信有(武田勝頼を最後に裏切った小山田信茂の父)はその消失した館を、都留地方の中心である谷村に移転して、この居館は終焉を迎えた。武田氏の滅亡とともに小山田氏も織田信長に処断されて没落、二度と同地に戻ってくることはなかった。

現在、館と推定される場所の北には珪林寺、南に用津院があり、近年まで堀や土橋が確認できたという。また珪林寺には小山田氏歴代の墓石が眠っている。

  

 (【左写真】用津院 【右写真】珪林寺の小山田氏歴代の墓石

 

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