須々貴城

標高650m、比高200m。天白城とも。

築城年代は不明だが、この地の土豪であった小泉氏が築いたのが起源ともされる。その後、戦国時代には村上義清の支配するところとなり、村上氏によって現在の城郭へと改修されたと思われる。

位置取りであるが、上田から坂城地方、青木地方へと開ける要衝の地にあり、山麓を千曲川が流れる要害である。また、山麓は上田原であり、村上氏と武田氏の上田原合戦の際には、この城から村上義清が指揮をとったとの伝承も残る。

城址は尾根鞍部の広い削平地を中心に、「上の城」「下の城」に分かれており、「上の城」がその主要部と思われる。かなり埋もれているが、いくつかの郭と堀切が確認できる。「下の城」は須々貴神社になり顕著な遺構は確認できない。城址からの上田原の眺望は抜群であるが、築城形式は古いもので、村上氏滅亡後は物見台や狼煙台に使用された程度で、特に改修は受けなかったものと感じられる。

城址へは「上田古戦場公園」の近く県道77号を岩鼻方面に進み、浦野川に架かる対影橋を渡った山口地区に登山道がある。塩田神社の裏側あたりに尾根まで延々続く石段があり、山麓から15分ほどで鞍部まで出る。そこから「上の城」まではさらに10分ほどの登山。

 

 (【左写真】上の城・主郭 【右写真】主郭裏の堀切)

 

 (【左写真】上の城の副郭と土橋跡 【右写真】上の城には石積みがあるが後年のものだろう)

 

 (【左写真】上の城・帯郭 【右写真】尾根鞍部から下の城を見る)

 

 (【左写真】登山道入口 【右写真】延々と続く石段)

 

 (【左写真】城址遠望 【右写真】主郭から上田原合戦地を見下ろす)

 

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