小牧城

(下の城・上の城)

標高639m、比高175m。(下の城)
標高712m、比高250m。(上の城)

築城者、築城年代ともに不明。一説に、木曽義仲の要害として築かれ、戦国時代に村上氏の出城に転じたとする(『信州の城と古戦場』、現地石碑)。「上の城」は物見に使用されたと思われる(『長野県町村誌』)。

千曲川をはさんで上田の対岸に位置することから、戦国時代、真田氏によって使用されたものであろう。険しい山頂に築かれ、山麓を千曲川が流れる要害の地形。

城址は「上の城」と「下の城」に区分けでき、「下の城」は数段の郭に堀切が残っている。「上の城」はさらに比高75m登る高所で、小規模な堀切があるが相当に埋もれており、郭も小さく簡素な造り。「下の城」は、大正六年(1917)小牧の青年会によって公園化され、現在も遠足の目的地であり、地表の改変は否めない(『図解 山城探訪』)。しかし、当城からの眺望は素晴らしく、上田・真田を完全に一望でき、遠く小県・佐久も見て取れる。この立地が築城をさせた目的だろう。

千曲川に架かる小牧橋を渡った正面に登山道が見える。渡辺園芸脇の入口には案内板が設置されており、山麓から1キロで城址に辿り着く。「下の城」までは20分ほど。そこから登山道は脆弱・急斜面になり、さらに15分で「上の城」へ着く。

(下の城)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】城址石碑。よくもここまで持ち運んだと思う。【右写真】主郭。展望が絶品。)

 

(【左写真】主郭の一部に残る土塁。【右写真】主郭下の二の郭。土塁は無い。)

 

(【左写真】五の郭から主郭を見上げる。【右写真】尾根には大規模な堀切が二条ある。)

(上の城)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】三の郭にある祠。郭としてはとても狭い。【右写真】一の郭だが雑草が酷い。一番広い郭。)

 

(【左写真】尾根筋には複数の堀切が見られる。【右写真】登山道は細く、土橋状の地形もある。)

(上の城からの眺望)

 

(【左写真】登山道入口からの城山 【右写真】山麓の案内看板 )

(城址遠望)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送