城の上砦

上角部落のお宮八王子社の北、本神谷の谷を隔てた地字「城の上」5074の地点で、段丘上の角に堀を作った54×30mの単郭。

伊藤坂上砦とともに於田屋城の東方を守ると同時に、北側にも備えた監視哨的拠点。ここの主である西牧氏は南安曇郡南部地方の豪族で、鎌倉時代に入る前後に中村居館から於田屋城に移り住み、400数年間に亘って威勢を誇った。

周辺には多くの山城や砦を築き、戦国時代には武田信玄に属して1547年の塩尻峠の合戦では仁科・山家氏らとともに小笠原氏から離脱し、小笠原氏を敗北に追いやった。しかし武田氏滅亡後は小笠原貞慶によって逆に滅ぼされたという。簡素な造りだけに遺構はハッキリしない。

 

 

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