甲府城

その起源は武田信虎が居館・躑躅ヶ崎館を防御するために築いた出城・一条小山城といわれる。一般的には1583年徳川家康の築城。JR甲府駅の近く、舞鶴城との別名を持つ平山城。

武田氏の躑躅ヶ崎館を廃して甲府を統治するために築城した徳川時代のもの。天正11年(1583)の平石親吉が築城に着工する。しかし小牧・長久手の合戦などによって工事は中断。その後、豊臣秀吉時代に秀吉の甥の羽柴秀勝が築城に着手し加藤光泰がそれ受け継いで、豊臣家の五奉行の一人浅野長政・幸長親子が築城をほぼ完了。さらに慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦後には徳川一族の持ち城となり、また幕府の直轄地になった時期もあった。宝永元年(1704)柳沢吉保が入封して、現在の甲府城を完成させた。

しかし石垣は残存しているが、現在非常に整備されており、近代的なその面持ちに、戦国当時のよすがを偲ぶ事は困難である。甲府城の天守閣の有無は長年の議論の的であるが、最近では存在していたという説が有力。

 

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