湯村山城

起源は不明で、一説にもともと逸見氏の山城であったともいわれる。はっきりした史料の初見は『高白斎記』で、武田信虎がこの地より約2km東に築いた躑躅ヶ崎館の出城として大永三年(1523)に築城したと記されている。

『高白斎記』は信憑性の高い史料であるから、ここに何らかの施設があったのは間違いなく、立地条件からして古府中を防御する支城群の最前線に立つものであろう。しかしその詳細は不明で、堀切などが確認できるから本格的な山城であったとか、狼煙台的な規模であるなどの諸説が散見できるが、現在確認できる状態では後者が濃厚であろうと感じる。また武田氏滅亡後に徳川氏が使用したとも云われるが、その要衝の地形からこれは首肯できる。

 

 (【左写真】登山道は緑ヶ丘スポーツ公園にある。歩けば山麓から30分ほど 【右写真】二の郭?削平状態は劣悪)

 

 (【左写真】一番高い地点の本郭址?巨石がころごろしていて削平されていないも同然。城址は外見すれば平地になっているが、天然の巨石が突起していて、とても大きな建築物があったとは思えない。狼煙台というのが適当だと感じた。

 【右写真】二の郭と本郭を仕切る堀切?の址。大手口の防御だろうが、搦め手口にはほとんど防御施設は無い。地理的には搦め手の方が弱点と思える。であるからこれが堀切の遺構であるかには疑問を持つ。ただ石積みがあって、近く要害山城の搦め手堀切も石積みで補強しているので、遺構の可能性は否定できない。城址には他にも同様の石積みが見られるが、戦国時代の物かの即断は避けたい。その他にも確実に後年の物と判断できる石垣もあるので注意。)

  

参考サイト: 城郭図鑑

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