武田竜宝屋敷

武田信玄の次男で天文10年(1541)生。母は信玄の正室三条夫人。生まれつき目が不自由であったため、早くから仏門に入って半僧半俗の生活を送っていた。また、信濃の豪族海野氏の名跡を継いで海野次郎信親とも称した。温厚な性格で人望はあつかったという。穴山梅雪の娘を正室に迎えたが、天正10年(1582)3月、梅雪が裏切り、武田氏が滅亡した時、畔村の入明寺(甲府市住吉)にて自害した。享年42歳。墓はこの入明寺にもある。現在まで武田信玄の系統で血を残しているのは竜宝系統のみであるという。

墓所周辺はかつて聖道小路という字名で呼ばれていたが、これは竜宝の屋敷址があったからだといわれている。

(躑躅ヶ崎館・武田神社から要害山に向う道、神宮橋バス停の近くにある)

 

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