熊城

要害山城とともに躑躅ヶ崎館を守る詰めの城として永正17年(1520)に武田信虎によって築城されたようである。要害山城の支城とも、また水の手を警護するための城ともいわれる。

要害山の南麓は古くから根小屋と呼ばれ、熊城の警護にあたった武士の屋敷が存在していた。要害山城と熊城の間には水の手があり、城に詰めるとともに、この水源を管理していたようである。

熊城には要害山城を登りきって搦め手から尾根伝いに行くのと、根小屋地区から登山する方法があるようである。水の手の沢沿いには多くの石積みが見られるものの、遺構であるかは不明。熊城は登山道などの整備はなく、夏場の発見は困難であった。要害山城経由だと1時間ほどの登山を要した。

 

(城域には深い堀切や石積みがあるという。やや下った沢伝いに写真のような削平地や石積みが多数確認できる。ただこれらが遺構かははっきりとしない。)

参考サイト: 信玄を捜す旅

 

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