中牧城

浄古寺城とも呼ばれる。鎌倉時代初期の安田義定居館を弘安年間(1278〜88)に二階堂氏、天文17年(1548)に武田信玄の指示によって土豪・大村加賀守が改修したという。

大村氏は戦国時代には武田信玄につき、雁坂口を警護する任を負っていたが、武田氏滅亡後は後北条氏に与して徳川家康と戦うが敗れている。甲斐国が徳川氏の所領となると、天正17年(1589)、徳川家康の家臣・内藤三左衛門が近代的な平城に大修築を施した。家康関東移封によってその役割は甲府城に一集され廃城になったと思われる。

規模は東西約1230m、南北約430m、本丸は東西約160m、南北約200mで、その他天守台、二の丸、三の丸址等が残存しているが、一面ぶどう畑になっていて明確ではない。一段高い天守台址とそれを巻く空堀(内堀)は比較的確認しやすい。

 

 

 (【左写真】天守台址。この上もぶどう畑。【右写真】本丸址で遺構はない。)

 

(城址のすぐ脇に走る車道は、地元の方の話では外堀であったものを埋めた址という。また3キロ南の小野田城と狼煙で連絡をとっていたという。)

(小野田城。東山梨郡牧丘町西保中城山。普門寺の裏から登山する。)

 

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