三宿城

三宿塁とも。現在の多聞小学校付近にはかつて空堀の址が残存していて、この地の領主の城が築かれていたという。応安7年(1374)にはすでにこの一帯は開発されていたらしいが、城主が何者だったのかなどは一切不明である。

周囲を目黒川の要害で固め、西側に堀切を配して城郭と成していたようである。城の歴史は明らかではないものの、室町時代には世田谷吉良氏の勢力化に組み込まれ、世田谷城の東南部を守る出城として活躍したようである(『日本城郭大系』)。

現在では全くの住宅街と化し、地形に隆起をみるだけで遺構は認められない。

 

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