上ノ山城

田沢城、殿山城とも。標高841m、比高240m。

光城が大城と呼ばれるのに対して、小城とも評された。

光城山の隣に上ノ山があるが、その頂上付近に築かれた山城。光城は鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族・光氏によって戦国時代に築かれたものと思われ、海野氏の一族は、そのころ会田刈谷原田沢(上の山)塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡しあっていたという(光城『現地説明板』)。
殿山城(とのやまじょう)ともいわれ、戦国時代(16世紀)の上ノ山の尾根道をおさえるために築かれた城。全長45mの小規模な城であるが、三つの郭と土塁・石積など当時の形状をよく伝えている。また、南側には堀割の跡と考えられる窪地、西側に縦掘と考えられる溝も残っている。
城主は小瀬巾の花村若狭守で、その館は現JAあづみ上川手支所の敷地にあったと考えられる(『豊科町教育委員会
 現地説明板』)。

現地の案内板には堀址や石積みが残っていると記されていたが、今回は確認できなかった。一応城郭の形にはなっているが、規模は大きくない。豊科カントリークラブへの車道に登山道があって、そこから徒歩5分。

  

 (【左写真】本郭 【右写真】二の郭、腰曲輪と思われる平地。ほとんど訪れる人もいないようで荒れ果てている。)

(城址入口)

 (この山の山頂付近に城址。)

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