枡形山城

室町時代の築城で比高57mの山城。その起源は源頼朝の重臣である稲毛氏が枡形山山腹の居館の詰め城として築城したものであったという。鎌倉の北方を防御する山城として重要視された。

その後、北条早雲が関東進出中の永正元年(1504)、今川氏親とともに扇谷上杉朝良に味方した際、この枡形山に布陣した。また後北条氏が関東に勢力を拡大し、江戸城を包囲した時にもこの枡形山が改修されたようである。一説に、永禄12年(1569)、甲斐の武田信玄が後北条氏の小田原城を攻撃した際にこの近くを通過したが、この際にも後北条氏の一拠点として横山弘成という武将が守っていたという。

現在は生田緑地の一角としてハイキングコースにもなっている。城址である頂上部は非常に広大で、展望も抜群である。城としての遺構は認められないものの、すこぶる築城に向いた都心に稀有な地形であり、周囲は切り立った地形であることから特段の防御施設はもともと無かったのかもしれない。

 

 (城址石碑と城址から都心を展望する。)

(城址で相当な広さ。「日本民家園」の脇の登山道から徒歩5分程度。)

 

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