瀬田城

天文年間(1532〜1555)に後北条氏の臣である長崎伊予守重光が功あってこの地に所領を賜り、現在行善寺のある丘に築城したという。この時重光は小田原にあった行善寺をここに移したともいう。彼はその後、入道して行善と号し、天文21年(1552)に歿し、城は重高、重次と代々受け継がれていった。

天正18年(1590)に後北条氏が滅亡した後も長崎氏はこの地に命脈を保ち、明主の任を務めたという(『日本城郭大系』)。

二子玉川駅の近く、東急田園都市線沿いの丘にあって、特段の遺構は見られないが、南側には丸子川が天然の要害をなしている。

 

 (【左写真】城址と推測される場所 【右写真】そこにあるお堂だが由緒は不明)

(城址の南は丸子川が渓谷を作っている)

 

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