祢津城

標高830m、比高130m。

祢津氏は平安末期には新張牧を根拠地とした豪族で、治承四年(1180)の木曽義仲挙兵、承久三年(1221)承久の乱、応永七年(1400)大塔合戦などに参加している。戦国時代、天文十年(1541)武田信虎、村上義清、諏訪頼重らに攻略され(『神使御頭之日記』)、武田氏に従属し、天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると後北条氏に仕え、翌年には真田氏の幕下となって重用され、さらに徳川氏のもとで命脈をつないだ。

城址は祢津の城山頂上に位置し、ここからは佐久・上田・小県いずれも非常に展望が良い。遺構は壮大で、一流の史跡といえよう。土塁を配し、石積みを多用した本郭を中心に帯郭が囲まれ、深い堀切を隔てて二の郭、さらに堀切と三の郭が見られる。搦め手と思われる場所には水の手があり、三重の堀切で城域への侵入を困難にしている。また、山腹まで続く豪快な二重の竪堀が主郭の北側に配され、馬場とも思われる広い郭があり、いずれもこの地方とは思えないような高度な石積みで守られている。

城自体の面積はさほど大きくはないものの、複雑かつ高度な縄張りによって堅固な山城を成している。これら遺構から武田氏、徳川氏によっても改修されたのではないかと感じられるほどで、いずれにせよ素晴らしい城郭の姿を留めている。

また、背後の標高900mの山頂には「祢津城上の城」が築かれ、山麓の「祢津健事神社」は砦の址と云い、姫子沢をはさんだ山頂には矢立城も残っている。

城址へは、上信越自動車道・東部湯の丸ICからすぐ近くに見えるいかにもといった形の城山にある。大手道から登るには「祢津健事神社」裏手の登山道から。搦め手からのアプローチは姫子沢地区から林道で山頂付近まで車で行ける。そこからは5分ほどで城址。

 

(【左写真】本郭 【右写真】本郭土塁)

 

(【左写真】本郭虎口 【右写真】本郭を囲む石塁)

 

(【左写真】本郭には二本の帯郭が巻く 【右写真】三の郭から堀切越しに二の郭、本郭を見る)

 

(【左写真】二の郭 【右写真】二の郭と本郭を区切る高い土塁)

 

(【左写真】三の郭 【右写真】搦め手四重堀切のひとつで三の郭の堀切)

 

(【左写真】大規模な二の郭、三の郭の大堀切 【右写真】大堀切はそのまま竪堀になる)

 

(【左写真】馬場の石塁は大規模 【右写真】馬場は広大だがかなり埋もれてしまった)

 

(【左写真】馬場には石塁に囲まれた虎口がはっきり残る 【右写真】水の手)

 

(【左写真】手前の三角の山が城址 【右写真】本郭から佐久方面を望む)

(自作縄張図)

 

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