富士見城

大室城とも。標高835m、比高130m。一説に鎌倉時代に大井光長の築城といい(『諸部落誌』)、一説に大室氏が鎌倉時代に築城し代々の大室氏の居城であったという(『信州の城と古戦場』)。城主は不明で、戦国末期の天正十三年(1585)第一次上田合戦の際、徳川家康譜代の臣・柴田康忠の陣城となった(『長野県町村誌』『信州の山城』)。

遺構として、堀切に囲まれた本丸を中心に五の丸まであり、至る所に石積みが見られる。北側の斜面には多くの段曲輪があり、そちらの石積みの保存状況も良好で、根小屋であったと思われる。

上信越自動車道・小諸ICのすぐ近く飯綱山の頂上にあり、諸地区から小諸高原美術館へ行く後平地区から登城できる。山麓にはすでに段郭があり、5分ほどの登山で主郭に着く。一帯は歴史の公園として整備されている。

  (信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターの縄張図)

 

(【左写真】二の丸から奥の微高地である本丸を見る 【右写真】本丸堀切)

 

(【左写真】二の丸には壮大な石垣が残る 【右写真】二の丸虎口で石垣は遺構)

 

(【左写真】北斜面の段曲輪 【右写真】城址遠望で頂上一帯に遺構)

 

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