田口城

標高881m、比高163m。

佐久の豪族として伴野氏、平賀氏とともに相当な勢力をもっていた田口氏の本拠。

天文十七年(1548)武田信玄が上田原の戦いで板垣信方、甘利虎泰、初鹿野伝右衛門らを失って大打撃を受けた後、佐久にも動揺が起こり内山城が放火された。田口城の田口長能も武田に反旗を翻したが、塩尻峠の戦いで小笠原長時を破った信玄は小山田信有を大将として田口城を攻撃。

その後信玄自ら佐久に出陣して村上軍によって奪われた佐久の諸城を奪還しているが、そのときに田口城も陥落。田口長能は討ち死にし、捕虜になった男女は多数であったといい、ここに田口氏は滅亡した(『日本城郭大系』『妙法寺記』)。

徒歩の登山道が龍岡城側あるが、山の裏手には頂上まで通じる車道も利用できる。

 

(【左写真】全景。龍岡城付近より望む。この山頂が城址。【右写真】主郭)

 

(【左写真】西の丸付近の削平地 【右写真】本丸を囲む石積み。)

 

 (【左写真】本丸の脇にある馬場址と思われる場所。正面の一段上が本丸。【右写真】は北の丸の石積み。相当な規模の城郭である。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

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