刈谷原城

鷹巣根城とも。標高896m、比高190m。

この城は鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族・光氏によって古くから築かれたもので、戦国時代には会田刈谷原田沢(上の山)塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡し合っていた。

その後、太田資忠という小笠原長時の家臣が在城していたが、主君小笠原長時が林大城を追われた後も武田方に降伏することなく抵抗を続けていた。しかし真田幸隆による砥石城攻略の後、村上方の本拠地である葛尾城攻略に着手した武田方は天文二二年(1553)三月、雪溶けを待って塩尻峠を越えて、さらに深志城を出発した。この時信玄は深志に数日滞在して念入りな戦略を練ったという。

刈谷原城に到着した武田の大軍は城攻めを開始し、3日間に及ぶ攻防の果てに落城させて城主太田資忠を捕らえた。その後今福石見守が城主に入ったという。

城址は、全体に小規模。登山道はいくつかあるようだが、刈谷原宿からトンネルの上を通る登山道が一番楽だろう。ただ、キノコ山のようで、誤解のないように入山したい。

 

(城址鷹巣根山の頂上。本郭には城址碑が建つが、城の規模は大きくない。)

 

  

(【左写真】二の郭、若しくは腰郭も狭い。 【右写真】搦め手口の堀切。)

(城址遠望)

 (国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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