勝沼城

師岡城とも。JR青梅駅の北方約600m、妙光院と光明寺の裏山に位置する。

勝沼城は鎌倉末期(1300年頃)にこの地の豪族、三田長綱によって築造されたとも云われるが、明確な築城年代、築城者などは一切が不明。ただ鎌倉時代より続く土豪・三田氏の居城であったのは間違いないようである。

三田氏はもともと山内上杉氏に属していたが後北条氏の威勢に一旦降伏する。しかし上杉謙信が関東に侵攻するとそれに従い後北条氏と対立、永禄6年(1563)に滝山城主・北条氏照に攻められ滅んでいる。それに先立つ永禄4年(1561)に三田綱秀が、勝沼城は鉄砲への防御が出来ない事から、5キロ南方の二俣尾の地に辛垣城を築いて一時廃城となった。三田氏の滅亡後は滝山城の出城となり、後北条氏家臣・師岡山城守将景が城代となる。その後、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原合戦の時に八王子城などとともに落城し、その時に廃城になったか、若しくは家康が武蔵国を支配するに及んで廃城に帰したという。

 

 

  (【右写真】本郭で広く。土塁も一部にある。)

 

  (【左写真】空堀は良く残っている。【右写真】馬出の様な遺構もある。)

 

  (【左写真】郭は主に3個だが、それ以外に帯郭も見られる。【右写真】城址遠望で登山には5分もかからない。)

 

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