中山勘解由屋敷

40m×100mの戦国武将の館址。

『新編武蔵国風土記稿』によると後北条氏の家臣・中山勘解由左衛門家範の屋敷は滝山町2丁目の少林寺と村の谷間にあったという。豊臣秀吉の関東進出に際し、小田原城に入っていた北条氏照に代わり、八王子城を守っていたのが中山勘解由家範。

天正18年(1590年)6月23日に八王子城は落城したが、そこを最後まで守ったのが家範といわれ、彼は馬術や槍の名手といわれる武勇の士だったようである。八王子城の攻撃に当たった敵将をして「一騎当千」と言わしめ、前田利家、上杉景勝の降伏勧告を頑強に拒否し、抜群の働きをした後、もはやこれまでと最後の時期を悟ると、二人の男児と妻を斬って、自身も自刃して果てた。

滝川城のすぐ近くで、今でも戦国の雰囲気を残す地形であるが、遺構と認められるものは残っていない。

 

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