平原城

平原城(★★長野県小諸市平原)

築城者、築城年代は諸説あり不明。戦国時代には依田氏の居城となり、数代に亘って拠点とする。その後徳川氏に仕えて廃城となった。

平原城を重視した依田氏初代城主・依田全真は、もとは上野国岩鼻城に拠っていたが、村上義清とよしみを通じていたことからこの地に移ったとされる。天文十八年(1549)九月四日、武田信玄(晴信)に攻められ放火されている(『高白斎記』)。村上義清が武田信玄によって信濃を追われ放浪した後も依田全真は義清との信義を守って、他には仕えず97歳で歿したという。その子・信盛は武田氏に従属し、その後、徳川氏に仕え、慶応五年(1600)、第二次上田の合戦では徳川秀忠軍に加わり、大阪の陣では本多正信に配属となり戦功があって、江戸幕府では天守番を勤めたと伝えられている。

城域の規模は極めて広大で、南北800m、東西500m以上に及び、本郭を中心に、大小30以上の郭が連郭式に配置され、枡形や二重堀のような施設が設けられていた(『信州の山城』)。しかし、現在では多くが住宅地となって、その壮大な遺構を残していない。わずかに郭、土塁、堀の跡が部分的に残り、その規模の大きさが想像される程度である。

城址は小諸城から近く、北国街道(国道18号)の平原地区にある。正眼寺から諏訪神社一帯が城域とされる。

 

 

(【左写真】主郭に祀られている祠 【右写真】主郭は耕作地となっている)

 

(【左写真】複数の郭があり土塁で区切られている 【右写真】土塁は非常に大規模)

 

(【左写真】いくつか空堀の残る 【右写真】横矢状の空堀の奥に本郭が見える)

 

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