耳取城

耳取城(鷹取城とも★★)

築城は、一説に寛元年間(1243-46)大井光長が居館を構えたのが起源とされるが、定かではない(『長野県町村誌』)。

その後の城主も不明なものの、戦国時代に本格的な城郭として改修され、弦治元年(1555)に廃城になったと伝わる(『玄江院寺伝』)。

最後の城主は大井政継であったというから、長く大井城を本拠とする大井氏一族の持ち城であったと考えられる。

城址は、10ほどの郭を持った大規模なもので、千曲川の断崖の上に築かれた要害。城の中心部を車道が分断しているが、現在でも複数の郭と空堀などが確認でき、千曲川の険しく落ち込む地形もそのままである。城域で千曲川に一番迫り出した郭が本郭と思われるが、後年の耕作地化を受けている。

現在の城址は、小諸市の耳取地区、県道78号が城を分断しており、皿掛川と千曲川が合流する地点にある。
県道78号線沿いに城址石碑があり、その奥が主要部。県道の反対側にもいくつかの郭があり、現在の玄江院もそのひとつであった。

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(付近の航空写真

  (信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターの縄張図)

 

(【左写真】城址入口 【右写真】本郭は耕作地)

 

(【左写真】本郭の竪堀 【右写真】二の郭も耕作化されている)

 

(【左写真】城址遠望。手前に皿掛川が流れる 【右写真】城は侵攻不能な切り立った絶壁に位置する)

 

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