大久保長安陣屋

天正18年(1590)頃、徳川家康が関東入国後、代官頭大久保長安が構えた陣屋。

甲斐・武田氏に仕えていた猿楽師の子と伝わる長安は、武田勝頼滅亡後に徳川氏の重臣大久保忠隣に才覚を認められ、大久保の苗字を与えられるとともに、家康に仕えた。家康は、北条氏照が支配していた八王子地域に、新田を開く目的で、長安を代官頭に据えた。長安はこの陣屋を本拠に、民政に力量を発揮し、関ケ原の合戦を経て、石見・佐渡・伊豆の鉱山採掘の奉行を兼ねた。政治、鉱山開発の才能を徳川家康に認められて3万石を賜っている。また奈良の代官も務め、郡山在番中に大和国中の寺社領を改め、長岳寺、霊山寺などに朱印状を与え、洞泉寺の地子3石も除地として免除している。慶長13年(1608)4月歿。

かつてはここを中心に代官町が形成され、土塁などを配していたが、すでに『新編武蔵国風土記稿』が編纂された1828年頃には破壊されてしまったという。甲州街道八王子八幡宿から100メートルほど南に入った稲荷神社が陣屋址といわれ、陣屋址石碑がわずかにその痕跡を残している。

(陣屋址石碑と稲荷神社)

 

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