小谷城

小屋城とも。歴史などは一切不明だが、すぐ隣の長峰山中腹には塔原氏の本城である塔ノ原城があることから、その出城とするのが自然だろう。

会田川と犀川の合流する要害の地にあり、対岸には茶臼山城があったという。城址は現在公園となっており、旧状は垣間見られないが、おそらく主郭と二の郭があって、周辺は切り立った崖になっていることから、大手口には堀切で防御をしたのでないかと思われる。

天文22年(1553)、武田信玄によって刈谷原城が攻め落とされると、塔原氏は塔ノ原城を放棄して逃亡したので、その時に同時に廃城になったのであろう。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】本郭 【右写真】わずかに堀切・土橋と思われる地形。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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