塔ノ原城

標高750m、比高200m。

鎌倉時代、川手郷の地頭となって東信から川手に進出してきた海野氏の一族・塔原氏の本城。

500m×50mの大規模な山城で、長峰山の尾根を6条の空堀で切り、本郭と二の郭を配している。からに東側に5個、北側の尾根筋には13個の帯郭を設け、主郭には高い土塁と石積みが残存している(『現地説明板』)。

塔原氏の居館は山麓、明科中学校付近にあった。戦国時代の天文二二年(1553)、武田信玄に攻められて城を捨て、信玄の配下に加わるものの、武田氏滅亡後、松本へ帰領した小笠原氏と対立関係に陥り、天正十一年(1583)に、松本城で誘殺されて滅亡した。この時に居館と塔ノ原城も廃されたといわれている。

長峰山には舗装された林道が走っており、周辺はハイキングコースにもなっている。林道の途中に城址への案内板があり、それに従って行けば、車道から城址まで数分でつながっている。 

  

(【左写真】遠望 【右写真】本郭。尾根側に土塁あり)

 

(【左写真】二の郭。最大の面積をもつ

【右写真】二の郭の石積み。すべて丸みを帯びた石で、河原の石を持ち込んだのだろう。このような石は他の松本平の各城とは異なるもので、小笠原貞慶時代のものではないだろうから、武田信玄時代の遺構と思われる。)

 

(【左写真】大手の堀切。周囲には帯郭も連なる。 【右写真】搦め手には6条の堀切は連続する)

(自作縄張り図。右が搦め手、左が大手。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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