伊深城

平安時代末この地を領した清和源氏の岡田冠者親義の築城との伝承があるがその説はとりがたく、実際の構築は当地における他の多くの城砦同様、室町後期以後戦国期に構築されたものと思われる。一説に城主は代々後庁氏とし小笠原氏の幕下にあったが、後稲倉城の赤沢氏に攻められて亡び、赤沢氏の所有となったとも伝えられる。(『小笠原大系』)

天文十九年(1550)の武田氏侵攻の際は、林大城の小笠原長時にそむき武田氏に降った。武田氏は小宮山氏を城代に置いてこの地を守らせた。東麓に館趾をもち、付近にある稲倉城、早落城、茶臼山城、横入城等の諸城砦とともに一連の構えであっという。大口沢口から安曇方面への口、苅谷原、稲倉峠による会田、上田方面の峠口、三才山谷から三才山峠を越えて上田方面へ、また府中北方の鎮城として重要な位置にあった。

城址は標高911mで苅谷原峠、稲倉峠つづきの山地の突端にあり、頂上部に石積みで囲まれた主郭を置き、二の郭、三の郭などが残る。特に主郭の尾根側、搦め手口の堀切は大規模なもので、さらに二重の堀切となっており、こちらの防御に気を遣っていたことが窺われる。岡田伊深の城山頂上で、若宮八幡宮から登山道が間断なく走っている。

  

(【左写真】本郭 【右写真】石積みが囲む)

 

(【左写真】本郭裏、搦め手の二重堀切。左右に堀が確認できる

【右写真】奥の上に本郭。手前が二重堀切で、実に見事。)

 

(【左写真】二の郭。奥が本郭。 【右写真】遠望で、登山は約30分)

(自作縄張り図。右が大手、上が搦め手。)

 

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