大井城

石並城、玉城、黒岩城を総称して大井城と呼んでいる。

もともと大井氏の拠点であり、寛元年間(1243〜1246)大井光長が居館を構えたのが起源であるが、建武二年(1335)足利尊氏と朝廷軍の合戦がここで行われ落城したという。その後、大井氏も居館として利用されるが文明十六年(1484)に村上氏の攻撃で灰燼に帰している。玉城を発掘したところ地化0,5mが一面焦土であり、この落城時のものと推察されている。この落城によって大井氏は滅亡した。戦国時代には大井氏の庶流である依田系の主城となり、武田氏、後北条氏と仕えていった(『信州の山城』)。

東側は湯川に面した断崖で、県道156号が二重堀切の跡という。石並城、黒岩城ともに耕作地となって、明確に城郭としての面影は感じられないが、発掘調査によって多数の磁器などが出土している。玉城は中心に位置し、現在は史跡公園となっているものの、わずかに城址説明看板があるのみで、遺構らしきものは見当たらない。

城址へは国道141の「岩村田」交差点を県道156号に入り、湯川に架かる昭和橋手前に史跡公園がある。

 

(【左写真】玉城は史跡公園になっている 【右写真】黒岩城は耕作地)

 

(【左写真】玉城・黒岩城の堀切跡 【右写真】現地説明看板)

(城址遠望。手前を湯川が流れる。

 

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