下溝堀の内

起源は不明だが、戦国時代の天文十七年(1548)頃、後北条家の北条氏照の領土となり、その娘が山中大炊助と婚姻した際に化粧田として与えたと云う(『相模原の史跡』)。

近年まで堀の内の住民の大半は「井上」という苗字であったが、これは後北条氏の家臣の子孫であろうとされる(『日本城郭大系』)。

かつては周囲を泥田が囲み、深い堀が巡られていたというが、現在では明確ではない。相模原公園から南下し、県道52号の「下原」交差点の東一帯が城域。

 (住宅地となり遺構は明瞭でない)

 

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