割ヶ岳城

柴津の城山とも。標高767.8m、比高120m。

割ヶ岳は、北には野尻湖から信越国境を望み、東に豊田から飯山、西に柏原、東には三水、牟礼へとつながる交通の要所にあたる。頂上には、本丸などがあった7つの曲輪と堀があり、大手道もかなり残されていて、信濃町では最も良く残された城跡。はじめは柴津為信という在地領主の城であったとの伝承があり、戦国時代には信越の重要な軍事拠点となっていた。永禄四年(1561)五月に武田氏に攻め落とされた記録があり、すぐ後の9月には川中島八幡原の戦いが惹起している。また同七年に野尻城の取り合いがあった(『現地説明板』)。

城址は野尻湖近く、富濃地区の城山に位置する。武田氏の猛将で「鬼美濃」と恐れられた原虎胤は、永禄二年(1559)にこの城を攻めた際に銃弾を浴びて負傷。その傷がもとで五年後に歿している。その後、武田信玄の支配が北信まで及ぶと野尻城をめぐって上杉氏との攻防が繰り返されたが、この「野尻城」は割ヶ岳城を示すのではないかという説もある。

県道96号に城址への案内板があり、そこから大手道が走っている。登山は20分程度だが、山麓では民家の庭先を通ることになるので注意・配慮したい。

 

  (【左写真】主郭で面積はさほどでない 【右写真】二の郭で本郭とは切岸で区画)

 

  (【左写真】二の郭・三の郭間の堀切 【右写真】城址西側には大規模な堀切がある)

 

  (【左写真】主要部には大きな帯郭 【右写真】大手道に沿うように非常に長い竪堀)

 

  (【左写真】現地縄張図 【右写真】城山遠望)

 

 

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