高梨氏館

高梨氏館(★★長野県中野市小舘)

高梨氏は井上氏と同族で平安時代から五百年に亘ってこの地に威勢を振るい、高梨氏城館跡を居住の場、背後の鴨ヶ嶽城跡を詰の城として支配していた。

戦国時代には村上氏に属して武田信玄に抵抗する。その後上杉氏に従属し、慶長三年(1598)に上杉景勝が会津に転封を命じられると、それに従った。

館跡は東西130m、南北100mで、土塁と空堀が四方を囲んでいる。土塁内には庭園跡、建物跡、門の跡が確認される。山城は館跡の東方、鴨ヶ嶽の山頂部(比高約300m)を削平して構築されており、南北約500mにわたる。本郭を中心に南北にいくつかの郭を設け、大小の堀切を備えている(『現地説明板』)。

高梨氏の城跡は居館と山城からなり、昭和44年に県の史跡に指定されました。この公園は居館跡であり、山城は東方の鴨ヶ嶽の山頂部に構築されています。庭園は京都文化の摂取に熱心だった高梨氏が最盛期の頃に築庭したものと考えられます。中世の庭園が確認された館跡は例が少なく、この庭園は地方武士の庭園のあり方を知る好例であるばかりか、高梨氏の文化的レベルの高さを示すものともいえます(中野市資料)。

豪族の大きな居館跡で、土塁などの遺構も良く残っている貴重な史跡である。

 

 

  (【左写真】空堀が全周している 【右写真】良く残る土塁)

 

  (【左写真】珍しい庭園跡 【右写真】居館から鴨ヶ嶽城跡の遠望

 

戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu