飯山城

永禄年間、上杉謙信の築城。

この地は東は千曲川に沿い、西は関田・斑尾の山地に囲まれ、越後への軍事交通の要地。もともと泉氏の居館であったが、戦国時代には上杉謙信が支配し、武田信玄の侵攻が進む永禄七年(1564)頃から本郭的な城塞として改修された。また天正十一年(1583)には上杉景勝の武将・岩井信能が城下町を整備する。慶長三年(1598)上杉氏の会津移封後は、関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多の諸氏が交替して城主となった。城は独立丘陵を削りならして構築した平山城で、梯郭式に本丸・二の丸・三の丸が南北に連なり、その西側は帯郭・西郭・外郭に区画され、四周は一重の堀を巡らす。本丸の南面は特に防御を固め、堀は深く、土塁は高く、急傾斜で東・北・西の三面は直立に近い石垣を築く。本丸・二の丸・三の丸には城主の居館・政庁・城櫓があり、西郭には重臣の屋敷、堀外は家中屋敷・公共施設、その外側には町が発達していた(『現地説明板』)。

石垣などが良く残っているが、それらは近世城郭の遺構であって、戦国時代、上杉謙信の縄張は見る影もない。

 

  (【左写真】天守台 【右写真】本丸虎口)

  (現地説明板)

 

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