岡崎城

標高38m、比高28m。15世紀後半の築城。

その歴史はハッキリしないが、康正元年(1455)鎌倉公方・足利成氏と長尾景仲が戦った際、長尾氏は敗走したが、上杉方の三浦義国が攻め落としたという(『鎌倉大草紙』)。以来、三浦氏の持ち城となったらしく、義国の養子・三浦義同の時代、永正九年(1512)八月、北条早雲によって攻略されている(『北条五代記』)。

平塚市岡崎の無量寺一帯が城址で、境内の裏手、林の中に遺構が良好に残っている。畑となっている「北郭」を中心に、「北方虎口」、空堀を挟んで「中郭」「南郭」が見られる。複雑な縄張りではなく中世の平山城だが、その規模からして「要害きびしく支度せり」(『小田原記』)であったことが垣間見られる。

 

 (【左写真】無量寺 【右写真】寺の境内には城郭の説明板と石碑あり。)

 

 (【左写真】主郭であろう「北郭」は畑になっている。【右写真】北郭と中郭との間の空堀。)

  

  (【左写真】中郭。規模もそこそこで、きれいに削平されている。【右写真】中郭と南郭の間の空堀は大規模。)

 

  (【左写真】南郭は一番規模が小さく荒れている。【右写真】北郭が中心的であったらしく虎口が北側にある。)

 (城址遠望)

 

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