関戸城

標高115m、比高50m。『新編武蔵国風土記稿』には「天守台 村の西へよりてあり 上りう三町ばかりの山あり」と記載があり、展望は地域では随一で、古来からの要害の場所あったことが分かる。天守台というのは徳川時代からの呼び名であるが、もともと物見櫓があったのであろう。

近くには関戸霞ヶ関があり、この関所は鎌倉幕府が軍事的目的によってによって設置され、その後、関銭徴収を主たる役割と変えたのだが、重要な街道がここを走っていたことが分かる。関所の裏山の山頂にあるのが関戸城で、鎌倉街道及び多摩川の渡河点を扼す目的を負っていたと思われる。

明応3年(1494)に扇谷定正が山内顕実方の関戸城を落としたとか、天正年間には後北条氏家臣・佐伯氏が城主となっていたなどの説はあるものの詳細は不明である。

『日本城郭大系』には、昭和54年当時、堀切や土塁が残存するとしているが、現在のどの場所をいっているのか不明である。聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を登りきった霞ヶ関緑地が城址である。

 

 (【左写真】遠望を聖蹟桜ヶ丘から 【右写真】城址推定地)

(城址で最も標高の高い場所。一応削平されているが狭く、物見台址か)

 

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