岡崎南部方形囲郭

標高33m、比高22m。室町時代中期の築城で220m×230m。

その歴史は不明だが、一説に、明応四年(1495)北条早雲に小田原城を追われた大森藤頼は、家臣・成田某の進言により、大森氏と血縁関係にあった岡崎城主・三浦義同を頼って、岡崎城の近隣に位置する本城に篭ったと伝わる(『日本城郭大系』)。

城址は、岡崎小学校から約100mにある岡崎神社を本郭として、東郭、南郭、堀切などが残るという。岡崎神社の境内にも土塁が残っていたようであるが、現在では明確でなく、他の郭も民家となって立ち入ることはできない。岡崎城の向かいの丘陵に築かれた大規模な城塞のようであるが、残念ながら遺構はハッキリしない。

なお、北側山麓には大森氏頼居館跡とされる紫雲寺がある。

 

 (【左写真】主郭とされる岡崎神社。【右写真】神社内には土塁跡らしき地形がある。)

 

 (【左写真】この左上が「南郭」だが、民家のため入れず。【右写真】「東郭」は住宅地となって遺構は無さそうだ。)

 

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