城所城

標高32m、比高22m。

歴史は一切不明で、一説に、観応年間(13501352)に城所(きどころ)正揚が居住し、代々同家の拠点となったという(『新編相模国風土記稿』)。位置取り的に、戦国時代には岡崎城の出城になっていたと考えられる。

明確な史料が無いにも関らず要害としての遺構(本丸、二の丸、出丸、空堀)が残っていたもので、様々な類推が為された城郭であったが、その遺構も昭和四十一年に新幹線建設のための採土工事によって山ごと削り取られ跡形もない(『日本城郭大系』)。このまま人々から忘れ去られる城であろう。

一応の跡地は、平塚市城所の浄心寺の裏山となる。

 (浄心寺裏山の一部でここに本丸等があった。すでに掘削されて面影はない。

 

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