大神陣屋

平塚市大字大神(おおかみ)は、江戸時代から明治半ばまで大神村と称していた。徳川家康は、天正十八年(1590)江戸に入封すると、翌十九年、この村の石高を旗本・伊沢政重、永見勝定、木部直方に分与し、余りを直轄地にしていた。慶長七年(1602)にはすべてを筧正次、榊原忠真らに分余している。

この直轄地内、正安寺の斜左前に陣屋があり、家康はここに役人を置き、大神村をはじめ近隣直轄地の年貢米の収納保管、付近警備等に当たらせていた。

その後分与された榊原忠真は、田村を中心に大住郡内で二千三百石を拝領した同族・忠政の次男で、分家独立した人物。この地を与えられるに当たって、この陣屋跡地と蔵を特に下賜され、忠真はそれを自己の蔵屋敷とし、領地を永く子孫に伝えたという(『現地説明板』)。

平塚市大字大神、東海道新幹線の橋脚下に位置する正安寺に上記説明板が設置されている。しかし遺構らしいものは無い。

 

 (正安寺には石碑と説明板が設置されているが遺構は無い。)

 

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