上和田城山

和田城とも。

境川に接する大和氏上和田の台地の東部に「城山」と称する小区域がある。その歴史は全く不明だが、一説に鎌倉時代に和田判官という人物が居城したものと云われる(『日本城郭大系』)。

江戸時代末期には、54m四方の面積で、3mの土塁に堀跡が見られたという(『新編相模国風土記稿』)。現在では笹竹や畑地と化して遺構らしきものと認められない。

大和南高校の北側、境川沿いの「宮之保公園」の対岸の台地が城山。祠があるものの城と関係あるかは不明。

 

 (【左写真】主郭と思われる場所は畑に。【右写真】山中の郭には祠が眠る。)

(城山遠望)

 

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