立石堀の内

『新編武蔵国風土記稿』によれば、現在の立石に「堀の内」という地名があり、また中川と綾瀬川の合流する要衝の地であることから、何らかの城郭が存在していた可能性が示されている(『日本城郭大系』)。

領主の系譜を引く武士の居館が置かれたという推測がされているものの、遺構はなく、あくまでも小字名からの仮定に過ぎない。

なお『新編武蔵国風土記稿』という史料は,大学頭林衡を総裁とした昌平坂学問所に設立された地誌調査所で,文化七年(1810)から文政十一年(1828)に至る19年間にわたって地理局の史官41名が編纂した江戸幕府の官撰地誌。計266巻からなる膨大なものであるが、特に武蔵国22郡の町村誌は記述が詳しく正確で、江戸時代の武蔵国研究の根本史料である

 

(現在、この地区に城址らしき遺構は何ら残っていない。)

 

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