葛西清重館

葛西清重は豊島清光の三男で葛西氏を称し、渋江を含む下総国葛西荘を本貫地にしていた豪族である。治承四年(1180)源頼朝が安房に逃れて以来、頼朝の元で活躍し、奥州・藤原氏攻めの際には、先陣を果たし戦功を挙げ、宮城県北部から岩手県南部にわたる広汎な領土を与えられる。奥州藤原氏討伐後、文治五年(1189)九月に奥州総奉行職になり、東北地方全域の御家人を統括した。頼朝の死後も幕府の宿老として北条氏を助け、源氏滅亡後にあっても侍所の重臣として北条氏の軍政に重きをなした。

晩年は出家し、親鸞上人の弟子となって「西光房」と号し、その居住地に西光寺を創設したという。また、彼の子孫の多くは奥州に分散して長く戦国時代まで活躍している(『日本城郭大系』)。

西光寺が居館址とされるが、遺構は無く、わずかに説明看板が建つのみ。

 

(【左写真】西光寺 【右写真】門前にある館址の説明板)

 

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