小倉城

玉川城とも。標高137m、比高71mの本格的な山城。元亀・天正年間(1570〜1592)に遠山光景によって築城されたとの伝承がある。『新編武蔵国風土記稿』は、この城を遠山右衛門大夫光景の居城と云い、また遠山地区にある遠山寺には光景の位牌があることから、そこには根小屋や居館があったと考えてよいかと思われる。同じように小倉山山麓の延命山大福寺には光景の夫人の位牌が残されている。

遠山氏の初代・直親は兄である康景が永禄七年(1564)正月、北条氏康と里見義弘が戦った鴻台の合戦で討ち死にしたために跡を継いで江戸城城主になり、小倉城はその子・光景に譲ったといわれる。その後も遠山氏は後北条氏に従属したが、小田原城の役で豊臣秀吉軍によってこの地域の中心的な城郭であった松山城が落城すると、同時に廃城に帰したようである。

本郭、二の郭、出郭など計16の削平地があり、土塁とともに関東には珍しい石積みの補強も見られる。

城址は、玉川カントリークラブへの道を遠山地区に移動し、途中の小倉地区にある大福寺の境内から登山道が走っている。比高はそれほどでもないが、傾斜は結構険しく、立派な山城である。登山は10分ほど。

 

(【左写真】本丸址で発掘作業中 【右写真】本丸には石碑が二つある)

 

(【左写真】三の丸虎口の土塁で石積み址が分かる 【右写真】本丸と出丸間の堀切。ここは大手口の虎口で石積みもある。)

 

(【左写真】出丸は周囲を石塁で固められている。ただ、これら全てが人工のものではなく、もともと岩場であったところに手を加えたように感じる

 【右写真】城址遠望。正面が大福寺で裏山が城址)

 

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