杉山城

雁城とも。標高95.3m、比高42m。総面積は、約8ヘクタールにも及び、山の高低差を巧みに利用して十あまりの曲輪を理想的に配置、「中世山城の教本」的な城址と評価されている。

現存する遺構の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が忍ばれ、「馬出」や「枡形」の塁線を屈曲させて構える「横矢掛かり」の多用はその典型とされる。また、城の立地についても、北方に越畑城・高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を、当時の社会情勢から判断して、松山城鉢形城とをつなぐ軍事上の重要拠点の一つであったと考えられる。

築城年代や城主名等は不明な点が多く、『新編武蔵国風土記稿』には、松山城主・上田氏の家臣杉山()主水の居城との記載があるものの、いずれにせよその縄張りは戦国末期のハイレベルなものである。また、遺構の保存状況は関東でも屈指で、推奨できる史跡である。

城址は嵐山町役場の近く、積善寺もしくは玉の岡中学校の裏山で、車道が走っており、5分ほどの徒歩で到着できる。

 

(【左写真】城址遠望 【右写真】本丸。城址は発掘中であった。)

 

(【左写真】本丸虎口の石積み 【右写真】周囲を巡る空堀で横矢になっている)

(空堀と武者走りで厳重な縄張り)

 

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