忍城

文明十一年(1479)までに成田顕泰によって築城。以後100年にわたり成田氏四代が支配する。連歌師の宗長が永禄六年(1509)に来城し、四方を沼で囲まれた忍城の景観を日記に記す。

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに際し、石田三成が攻城。水攻めするが失敗し、小田原城落城後に開城。文禄元年(1592)、徳川家康の四男・松平忠吉が10万石で入城。その後は酒井忠勝。松平信綱、阿部忠秋らが入城。阿部氏のときに城と城下町の拡張整備が始まり、阿部正武のとき三階櫓が完成した。

明治を迎えて城は廃城となり、沼は田畑に転用される。

関東七名城に数えられた「忍の浮き城」も現在は本丸付近を残しほとんどが住宅地に埋没している。ただ周辺に水城公園(忍城の外堀)、丸墓山古墳(石田三成陣所)、石田堤など関連する史跡が残る。石田堤は江戸時代に街道として整備され、現在そのまま県道として利用されているという。忍城の水攻めは三成の策ではなく、秀吉命によって行われたとの説があり、首肯できる。しかし実際水攻めした際も城や城下の方が堤防付近より高かったため、あまり水没しなかったと云われる。

 

(【左写真】忍城御三階櫓 【右写真】忍城高麗門)

 

 (【左写真】本丸土塁 【右写真】丸墓山古墳(石田三成陣所))

(石田堤)

 

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